カミングアウト・その後

2003年10月30日

※ 修正 2007年5月

▽ 反省

「シナリオ」通りにはいかなかったけど、自分なりにベストを尽くしたと思っていた。
でも、一つ大事なことを忘れていた。
自分の考えを突き詰めようとするあまりに、自分のことしか見えなくなっていたのだ。
自分にとっては今まで長い時間をかけて考えてきたことでも、他の人にとっては突然に近い出来事なのだ。
話す方にとっても大きなことだけど、聞く方にとっても大きなことだったのだ。
そんな当たり前のことをいつの間にか忘れてしまって、一方的に考え過ぎていた。

「時間が必要になってくる」ということをすっかり忘れていた。
それも重要なことほど時間がかかるものだということを……。
「人事を尽くして天命を待つ」の「天命」の部分なのだと思う。

それから数日後……。

母から、薬を飲むのだけはやめるようにと言われたときは、さすがに辛かった……。
とっ散らかったボクの話を理解するのは難しかったと思うけど、受け入れてもらったのは確かだ。
罪悪感を覚えないはずがないけど……。

もしボクの意志の力で何とかなることだったら……。
声変わりしなかったはずだし、精通も来なかったはずだし、ひげも生えなかったはず……。
第二次性徴が表れてきた時は嫌だったけど、ホルモンをコントロールすることは無理だった。

やっぱり、意志の力だけで生理現象を止めるのは不可能に近いことだと思うし……。
自分の体で充分な量が作り出せれば一番良いのだろうけど、それも無理だろう。

だから、薬はずっと続けないといけないということを改めて伝えて、やめるわけにはいかないということを改めて言った……。

その代わりといってはなんだけど、以前よりもずっと健康に気をつけるようになってきた。

▽ 1週間~1ヶ月後 (2003年1月~)

母の他にも家族全員に話した。
大体同じように無事話をすることができた。

家族にカミングアウトして一番良かったのは、「自分らしく」していられるようになったこと。
前より「わがまま」になったと言えなくもないけど……。
素の自分を出していられるので、予想以上に気楽に過ごすことができるようになった。
度胸がついて「男らしく」なったところもあるかも知れない(笑)。

そして……。
以前と変わらない日常生活に戻った。
ボクの方も気楽になったので、まるで何事もなかったように話ができるようになった。
でも、話題は他愛もない話ばかり……。
ボクのことについて何か聞かれることはほとんどなかった。
気を遣ってそっとしてくれるのは、もちろんうれしいことなんだけど……。

1週間、2週間……そして、1ヶ月経った。

あまりにも何も言われない日々が続いたので、本当に分かってくれたのかどうか不安になってきた。
上手く話ができなかったから、肝心なことがちゃんと伝わっていないのかも知れないと思って、もう一度確かめるようなこともした。

テレビに女っぽい男性タレントが出てきたときなどを利用して、(ばればれだけど)さりげなく自分のことに話を持っていくということもしたけど、すぐにまた違う話題になる……。

「本当は薄気味悪いと思われて、遠ざけられているのではないか」と強い不安に襲われることもあった。
思い切り反対されていないだけでも有り難いことなんだけど、同時に寂しさやもどかしさも感じてしまった。
自分でもぜいたくな悩みだと思ったけど、少しは話しかけてきて欲しいと思った。

でも、家族の前でもリラックスできるようになったのは確かだった。
「お芝居」をする必要がなくなって、前よりも素の自分を隠さずに出せるような気がした。
無理に男っぽくしなくてもよくなったという実感が出てきて、とてもうれしかった。

一人でこそこそしていないですむようになったという開放感は予想以上だった。
心の「重り」が取れた分、性格も明るく……いや多少浮かれた感じに変わってきたかも知れない……(笑)。

▽ 1週間後 (病院へ行く)

このことをきっかけにして、長い間封じ込めていた思いがどんどんあふれ出してくるようになってきた。
いつもそばにノートを置き、思いついたことをすぐにメモして置くのが習慣になっていった。
書いていくうちに心の整理がある程度はできてきた。

(※ このころは、メモ以外に、毎日ノート1ページくらいのペースで日記を書いていた。読み返してみると内容は「いっぱいいっぱい」という感じ。その日の出来事なんてほとんど書いていないから……)

女性ホルモンを使うには、本来なら医師の診断が必要なことはもちろん知っていた。
でも、医師に相談することなしに「フライング・スタート」したのは、誰かに話すのが恥ずかしくて勇気が出なかったということになる……。

体調は前よりもずっと良くなった感じがして全然異常を感じられなかったというのもあるけど、ずっと一人で続けるつもりだった。

病院は人を生かす所で、不妊治療をしている人がたくさんいる所でもあるのに、自らの意思でDNAを殺そうとしている人間が行くのは「お門違い」だとも感じていた……。
ボクも赤ちゃんや子供が嫌いだなんて思っているわけではないから、場違いな人間だという孤独感や罪悪感が強くなるだろうと思っていた……。

でも……。
気持ちが落ち着いてきてからは、病院に行くことも真剣に考えるようになった。
もしも精神科に行くことになったら、色々と話をしなければならないかも知れないと思って、
質問に対してどう答えるか困ることのないようにシミュレートした。
分からないところはインターネットで調べて、更に自分の心を分析するようになった。

そして、ホルモンを飲み始めてから3ヶ月あまりたった1月の末……。
ついに病院に行った。
雪の降る中を歩いていくうちに、気持ちが落ち着いていくのが分かった。

最初に相談室のような所へ言って事情を話した。
知らない人に話すのは初めてのことになるので、とてもドキドキしたけど、けっこう上手く行った方だと思う。
その日のうちに血液検査をしていただいた。
無茶な薬の飲み方はしていなかったから自信はあったけど、
異常がなかったのが確かめられて、ほっとした。

▽ 2003年、夏

その後も検査をしたけど、異常はなかった。
体調にも問題がないから、定期的に検査をする形が合っていると思う。

ボクの体のことだけではなく、心のこと(精神的なこと)も話さなくてはいけないという気持ちはあるけど……。

自分の心のことは最後には自分で解決しなければいけない問題だと思っている。

体の外部はともかくとして、内部が変わっているのは実感できるので、気持ちは落ち着いていられる。

家族とは今まで通りで、あまり変わっていない……。
お互いに今の状況に慣れてきたという感じはする。

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